独自の視点で読み解く

独自の視点で読み解く

独自の視点で読み解く⑩

「HAGAKURE」

HAGAKUREの外観

 「川尻」という地名を聞いて、その場所がすぐに思い浮かぶ人は、広島県民でも多くないかもしれません。しかし、その川尻に世界各地からお客さまが訪れるお店があります。それが今回の取材先、日本伝統の打刃物を扱う株式会社HAGAKUREです。
打刃物との出会いや川尻への愛情、瀬戸内の魅力や日本文化の伝承に至るまで、代表の村上由一さんにお話を伺いました。

HAGAKURE 代表の村上由一さん

株式会社HAGAKURE 代表取締役 村上由一さん

呉市川尻町(旧豊田郡川尻町)生まれ。関西学院大学を卒業後、母校の事務職員として国際交流業務に従事。海運業を営んでいた父親の不慮の事故を契機に広島へUターン。釣り情報を扱う出版社に記者として約15年間勤務した。ある時、取材で偶然訪れた越前打刃物の工房で、株式会社HAGAKUREの創業へとつながる出会いがある。

運命の転機となった黒﨑優氏との出会い

 川尻で生まれ、呉で過ごしました。英語が好きだった私は、中学時代にビートルズの音楽に出会い夢中になります。高校・大学と地道に学習を続け、交換留学生としてイギリスへ渡ります。卒業後はそのまま事務職員として母校に勤め、国際交流業務を担当していました。
 実家の父は、タンカー船で硫酸などの危険物を運搬する海運業を営んでいたのですが、事故で頸椎(けいつい)を損傷し体が不自由になりました。それをきっかけに、私は川尻へUターンします。もともとマスコミ志望であったことやアウトドアが好きだったこともあり、釣り情報を扱う出版社に転職しました。

HAGAKURE 代表の村上由一さん

 釣りをされる方は想像できると思うのですが、現場はとにかく朝が早いんです。午前2時に山口県長門市の港に集合して離島に向かい、日の出前から取材なんてこともざら。締め切りが近い時は、そのまま本社に帰って原稿を仕上げるということもありました。とにかく不規則で多忙な日々でした。
 しかも、当時の編集長は業界では有名な人物で、とにかく指導が厳しかった。原稿を提出するたびに真っ赤っかに直され、その場で延々と説教なんてことは日常茶飯事でした。その後、編集長は代替わりしたのですが、送別会の時「お前を辞めさせなくて良かった」と言われたのが印象に残っています。振り返ってみると、文章の書き方や写真の編集、レイアウトなど、あの時の経験がいまにつながっていると実感しています。
 そんなある日、取材で訪れた越前打刃物の工房で、黒﨑優氏と出会います。人気、実力ともに世界トップクラスの包丁職人で、この出会いが私の運命を変えることになります。
 最初の取材を終えた後も、礼状を書いて送って電話でやり取りし、交流が続いていたのですが、ある日、出版業界の先行きに対する不安を口にすると
「僕の包丁売りますか」
と声を掛けられたのです。黒﨑氏の包丁はすでに海外で絶大な人気を誇っていましたが、それだけでなく、同じ組合の鍛冶屋さんまで紹介してくれるというのです。
 打刃物業界は需要過多が続いており、供給がなかなか追いつかない。どこの鍛冶屋さんも数年先まで注文が入っていて、それゆえに新規取り引きなどさせてもらえないというのが通説です。まして、包丁に関してバックグラウンドのない私など、本来入り込む隙間すらないわけです。世界的に認知されている職人さんたちの包丁を扱えるなんて奇跡としか思えません。少し戸惑いもありましたが、黒﨑氏の自信に満ちた言葉にも促され、包丁屋として勝負してやろうと決心しました。

世界的に認知されている職人さんたちの包丁
世界的に認知されている職人さんたちの包丁

HAGAKURE、3つの事業

 越前の鍛冶屋さんとの取り引きを皮切りに、三木や土佐、三条、堺、関など有名な刃物産地を訪ね職人さんと商談し、商品ラインアップを整えていきました。リーフレットやギャラリーの室内幕、自社サイトに使っている画像や文章などすべて自前です。出版社時代の経験がかなり役立っていますね。また、海外とのやり取りは基本的に英語です。これも学生時代の留学経験が生きています。海外向けの情報は自らSNS等で発信しており、起業前は点だらけだった過去の経験が、起業後、すべて線としてつながっている実感があります。

 現在当社は、大きく
・実店舗(川尻本社ショールームおよび宮島店)での店頭販売(小売り)
・国内外向けのオンライン販売(小売り)
・海外ショップ向けの卸売り
を手掛けています。

 自分の足で工房まで赴いて職人さんから話を聞き、その魅力を自分の言葉でお客さまに伝えています。他のお客さまや時間を気にせず、ゆっくりと商品を見ていただきたいとの思いで、店舗は予約制としています。

HAGAKURE 代表の村上由一さん

 海外のお客さまは、打刃物の品質の高さだけでなく、数百年も続くその歴史や伝統製法、工芸性など文化的側面にも興味を持たれます。しかし、海外への販売を開始して2年ほどたったころ、日本の文化の象徴である打刃物が、肝心の日本人に忘れ去られるのではないかと感じはじめます。そんな危機感から、打刃物の魅力をもっと多くの人に知っていただくための活動を開始しました。それが「瀬戸内の恵みプロジェクト」です。竹原のTrattoria Mのオーナー室岡シェフを含む3名が活動の中心となり、子どもたちを対象に、魚を題材にした食育の講演、魚のさばき方の実演、カラー魚拓や魚料理のワークショップなどを行っています。


 ここでちょっと寄り道して、村上さんのお客さまでもあり、せとうちの恵みプロジェクトのメンバーでもある室岡真人さんにもお話を伺ってみましょう。

 静岡県から7年前に移住し、イタリア料理店Trattoria Mを竹原市で開業した室岡真人さん。HAGAKUREの村上さんとは「チヌ釣り日本チャンピオン」である友人を介して出会います。もともと竹原市の自然や豊かな食材にほれ込み、生産者の元を訪ねては熱心に地域の魅力を発掘していた室岡シェフ。この二人を結び付けたのは「コロナ禍」でした。

ユーザーの声~思いをつなぐ打刃物の魅力~

イタリア料理店Trattoria Mを竹原市で開業した室岡真人さん
イタリア料理店Trattoria Mの外観
 
イタリア料理店Trattoria Mの内観
 

二人の出会い

 コロナ禍でお客さまも減り、時間ができたんですね。経営的には大変でしたが、この機会にもっと瀬戸内のことを知りたいなと強く思いました。村上さんとは、初めは遊び仲間でしたが、チヌ(クロダイ)を釣って調理したり、カキを生産者から直接買って食べたり、自分事としてその魅力を体感する中で、子どもたちにもこの楽しさを伝えていこうと話が盛り上がり、瀬戸内の恵みプロジェクトが始まりました。

瀬戸内の恵プロジェクト

料理を楽しむなら包丁から

 子ども向けのイベントでも、ちゃんと研がれてよく切れる包丁を使います。正しい手の向きと正しい包丁の向きを学ぶと、手を切ることはまずありません。逆に「切れない」包丁だと、食材で刃が滑って危ないですね。手のひらで豆腐を切ることを想像してみてください。包丁は刃を握っても切れないけど、少しでも引くと、スパッと切れるものです。

 料理が下手だから安い包丁を使うという方も多いのですが、そんな人にこそ本物の包丁を使ってほしいですね。切れ味が変われば、料理が楽しくなります! 料理を楽しむなら、まずは包丁から。

プロが評価する打刃物

 男の子だったら憧れますよね、「めっちゃかっこいいな」と。見てください、この包丁!
 洋食料理の現場では、ステンレス製の包丁を使用するのが一般的ですが、打刃物の特徴や魅力はまず見た目! 鋼を何層も打ち重ねた模様が美しく、模様が生み出す凸凹やざらざら感は、食材が張り付くのを防いでくれます。そして切れ味。ステンレス全鋼の包丁は全くかないませんね。
 お刺し身で「角が立つ」といいますが、あれは本当です、全く食感が異なります。

イタリア料理店Trattoria Mの室岡真人さん
イタリア料理店Trattoria Mの室岡真人さん

 打刃物の魅力は他にもあります。料理人の僕にとって包丁はとても大切なものですが、打ち手(職人)の魂がこもった包丁を使わせていただくことで、私自身の料理に対する姿勢がキリっと正され、使わせていただいているという感謝の気持ちが生まれます。
 実は先日、親御さんから打刃物を譲り受けた方がいらっしゃいました。包丁というモノだけでなく、料理を作ってくれた母の記憶や味、そしてこれからもおいしいごはんを食べてほしいという願いもそこに添えられていると思います。こうした贈り物もすてきですよね。

すぅっとタマネギに刃が入り、形を保ったまま細かく刻まれていく

すぅっとタマネギに刃が入り、形を保ったまま細かく刻まれていく。つぶれないので水分が抜けず、おいしく仕上がるとのこと。

打刃物の包丁

伝統・文化・地域の風習、おいしい料理を支え、思いをバトンする打刃物。経済性や機能性だけではない大切な価値に気付かされる。

話はまたHAGAKUREの村上さんへとバトンタッチ。


世界から眺める地方創生

 海外からお客さまが来ると、なるべく時間をとって川尻や呉をご案内します。野呂山から眺める瀬戸内の景色、呉港から出発する呉湾のクルーズ、海の上から眺める潜水艦の旗降ろし式とラッパの音色……。地元の人が当たり前すぎて忘れてしまっている美しい景色や人々の息づかいが感じられます。
 「人生は宝探しの旅」。地元の中学校など、講演に呼んでいただいた時に必ずお伝えするフレーズです。人生という旅の途中、どこに立ち寄りどこで休憩してもいい。そして、どんな宝物を見つけることができるのかは、自分の心が決めること。日常を少し違った角度で見つめてみると、いつもと違う世界に見えます。
 私たちが暮らす地域もそうです。川尻は日本的感覚だと過疎の進むただの田舎町ですが、グローバル基準で見ると、豊かな自然と美しい景観、そして温かい人々が暮らす世界に誇れる町です。呉もそうです。ユニークな歴史があり素晴らしいコンテンツに恵まれた唯一無二の港町です。そういった魅力を世界に発信し、「ド田舎ビジネスのモデルケース」になりたいと思います。

HAGAKURE 代表の村上由一さん

創業時の苦労と後輩へのメッセージ

 創業と同時、どんぴしゃのタイミングでコロナ禍になりました。当初予定していた計画が見事に崩れ落ちました。でも「これ以上は悪くならないから、ここからはい上がってみせる」と自分を奮い立たせました。
 「こんな田舎で包丁事業をやっていけるのか?」という懐疑的な声に対しても、実際に広島県外や海外から多くのお客さまが訪れることで、間違っていなかったと証明できています。
 孔子の『論語』の中に「智仁勇の三徳」という言葉があります。智は判断力、仁は真心、勇は勇気をもって行動する力です。いくら智と仁が備わっていても、一歩踏み出す勇気がなければ何も始まりません。私の場合は40歳を過ぎてから人生がダイナミックに動き出しました。創業を考えている方々は失敗を恐れず、チャレンジ精神と行動力をもって令和時代を生き抜いていただきたいと思います。

HAGAKURE 代表の村上由一さんと取材を行った本田直美さん

(取材/本田直美)




ページトップへ戻る